礼儀作法の誤解
品性のよさをそこないたくない、という心配をもとに礼が実践されるとすれば、それは貧弱な徳行である。礼は物事の道理を当然のこととして尊重するということである。
型をなぞり、品性を保つことが礼の本質ではないとはじめに注意されています。
礼とは他人に対する思いやりを表現すること
礼とは「禮」であり、昔は、示偏に豊と書きました。示偏は、祭壇に供え物の肉を捧げ、肉が新鮮で、血が滴り落ちることを表現しています。禮とは、祭壇へのお供え物が豊かという意味で、神への感謝の気持ちを表現した漢字です。
漢字を見ても、他者への気持ちを表わすことが禮(礼)ということだとわかります。
礼は慈愛と謙遜という動機から生じ、他人の感情に対する優しい気持ちによってものごとを行うので、いつも優美な感受性として現れる。礼の必要条件とは、泣いている人とともに泣き、喜びにある人とともに喜ぶことである。礼はその最高の姿として、ほとんど愛に近づく。
では、作法や型でいうところの礼儀作法にはどんな意味があるのか…
礼法の最も有名な流派の祖述家である小笠原清務氏は言いました。
あらゆる礼法の目的は精神を陶冶(とうや)することである。心静かに座っているときは、凶悪な暴漢とても手出しをするのを控える、というが、そこまで心を練磨することである
正しい作法に基づいた日々の絶えざる鍛練によって、身体のあらゆる部分と機能に申し分のない秩序を授け、かつ身体を環境に調和させて精神の統御が身体中にいきわたるようにすることを意味する。
と、稲造先生は言い換えています。
前章で、優しさを育むために、音楽や詩歌があったように、茶の道、武の道、道とつくものには、色々作法がありますが、作法から入り、精神を高め、本当の礼そして仁にたどり着くこともまた可能だということだと学びました。
相手を思いやる気持ちを表現したものが礼の本質であり、表面的な礼儀作法に捉われることではないと肝に銘じ、一歩一歩、道を歩んでいきたいと思います。
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品性のよさをそこないたくない、という心配をもとに礼が実践されるとすれば、それは貧弱な徳行である。礼は物事の道理を当然のこととして尊重するということである。
