Tag Archives: 洪自誠 - Page 2

菜根譚に学ぶ「見えないところほど気をつける」

肝、病を受くれば則ち目は視ること能わず、腎、病を受くれば則ち耳は聴くこと能わず。
病は人の見ざるところに受けて、必ず人の共に見るところに発す。
故に君子は罪を昭々に得ることなきを欲せば、先ず罪を冥々に得ることなかれ。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

肝臓が痛むと目は見えなくなり、腎臓が痛むと耳は聞こえなくなる。
このように、病は人に見えない内部に起こって、やがて必ず誰にも見える外部に現れる。
だから君子は、人まえで罪を得たくないなら、まず人目につかぬところで罪を得てはいけない。

自分の本性が一番出やすい人から見えぬところほど気を付けなければなりません。

人の見ないところがきっちり締まっていれば安心です。

四書大学にも「君子は独りを慎む」とあります。
君子は、人前だけでなく一人でいるときも行いを慎み、道に背かないようにする。

このようにありたいと思います。

菜根譚 (講談社学術文庫)
菜根譚 (講談社学術文庫)
おすすめ平均
stars生き方について
stars論語と並ぶ名著
stars加える 増やす 進む 昇る そんな一辺倒で良いの?
stars儒教・仏教・道教の三教を根幹とし、生活における中庸を解く
stars自分でイメージをふくらませて・・

Amazonで詳しく見る by G-Tools

菜根譚に学ぶ「埋没するなかれ」

身を立つるに一歩を高くして立たざれば、塵裡に衣を振い、泥中に足を濯うが如し。如何ぞ超達せん。世に処するに一歩を退いて処らざれば、飛蛾の燭に投じ、羝羊の藩(まがき)に触るるがごとし。如何ぞ安楽ならん。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

一人の人間として生きていくには、一歩高い視点に立たないと、まるで塵のなかで衣を振るい、泥の中で足を洗うようなことになる。どうして世俗を超脱できようか。
俗世間とつきあうには身を一歩退いてつきあわないと、まるで蛾が燈火に投じ、牡羊が垣根に角をつっこんだようになる。どうして安楽に暮らせるだろうか。

物事に埋没して、捉われてはいけないなと思います。

どうしても現実に生きていると、現実にはまり込み、随分低いところまで降りてきて、作業しているなということに気付きます。

自分では、塵の中で衣振るうような愚かなことはしていないと思っているし、泥の中で足を洗うようなことはしていないと思っている。しかし、本当にそうであろうか。

常に高い視点で物事を捉え直すことが必要だと改めて感じます。

高い視点に立ち、気付くことがあったなら、どんなに作業を進めていても、直ちに修正しなければなりません。

一歩を踏み込むときと、一歩退くとき。
一段降りるときと、一段昇るとき。

しっかりと制御しなければと思います。

菜根譚 (講談社学術文庫)
菜根譚 (講談社学術文庫)
おすすめ平均
stars生き方について
stars論語と並ぶ名著
stars加える 増やす 進む 昇る そんな一辺倒で良いの?
stars儒教・仏教・道教の三教を根幹とし、生活における中庸を解く
stars自分でイメージをふくらませて・・

Amazonで詳しく見る by G-Tools

菜根譚に学ぶ「わきまえることを知る」

卑(ひく)きに居りて而る後、高きに登るの危きたるを知る。
晦(くら)きに処りて而る後、明るきに向うの太だ露わるるを知る。
静を守りて而る後、動を好むの労に過ぐるを知る。
黙を養いて而る後、言多きの躁たるを知る。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

低いところにいるからこそ、高いところへ登るのが、危険であることをわきまえる。
暗いところにいるからこそ、明るいところへ出ることが、あまりにでしゃばりすぎることをわきまえる。
静虚を守っているからこそ、活動ばかりを好むのは、やりすぎであることをわきまえる。
寡黙を守っているからこそ、多弁がいかに騒がしいかをわきまえる。

わきまえる」という言葉が最近良く耳につきます。

「身の程をわきまえる」「分をわきまえる」など「わきまえる」というのは少しネガティブな要素を持っているように一見感じます。

ポジティブな考え方がもてはやされている昨今、わきまえるなんてとんでもない。どんどん前へ出ろ。とにかく進め。と言われそうですが、一見このネガティブな「わきまえる」という姿勢は非常に大切だなと思います。

特に、自分のようにあれもこれも手をつける、そして不必要にポジティブすぎる人間に必要な能力なのかなと思います。

わきまえる。というのは一種の覚悟なのだと思います。

自分の立ち位置がはっきり定まっている覚悟の決まった人間なら、足ることも過ぎることもないように。

覚悟のある人生を過ごしていきたいと思います。

菜根譚 (講談社学術文庫)
菜根譚 (講談社学術文庫)
おすすめ平均
stars生き方について
stars論語と並ぶ名著
stars加える 増やす 進む 昇る そんな一辺倒で良いの?
stars儒教・仏教・道教の三教を根幹とし、生活における中庸を解く
stars自分でイメージをふくらませて・・

Amazonで詳しく見る by G-Tools

菜根譚に学ぶ「100でも0でもいけないこと」

完名美節は、宜しく独り任ずべからず。
些かを分って人に与うれば、以て害を遠ざけ身を全うすべし。
辱行汚名は、宜しく全く推すべからず。
些かを引いて己に帰すれば、以て光を韜み徳を養うべし。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

功績や名声は独り占めにするものではない。
少しは人にも分かち与えれば、危害を遠ざけ身を全うできる。
失敗や汚名をすべて他人にかぶせてはならぬ。
少しは自分も引き受ければ、才能をひけらかさずに人格を磨くことができる。

人間として未熟な自分は、つい自分が成しえた事を自分のみの成果として人に誇ってしまいそうですが、それはいけないと。
また、恥ずかしい行為は、つい人のせいにして自分は全く関係ないと逃げてしまいそうですが、それもまたいけないと。

成功は大きくなればなるほど独り占めしたくなるのが人間の性。
失敗は大きくなればなるほど人任せにしたくなるのが人間の性。

しかし、その性に流されず、傲慢な気持ちや臆病な気持ちを自覚し、脇によける強さを身につけたいと思います。

菜根譚 (講談社学術文庫)
菜根譚 (講談社学術文庫)
おすすめ平均
stars生き方について
stars論語と並ぶ名著
stars加える 増やす 進む 昇る そんな一辺倒で良いの?
stars儒教・仏教・道教の三教を根幹とし、生活における中庸を解く
stars自分でイメージをふくらませて・・

Amazonで詳しく見る by G-Tools

菜根譚に学ぶ「ゆずるこころ」

経路の窄(せま)き処は、一歩を留めて人の行くに与え、滋味の濃(こま)やかなる的(もの)は、三分を減じて人の嗜むに譲る。これは是れ世を渉る一極の安楽の法なり。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

狭い小みちでは、一歩ゆずって、人を行かせてやる。
美味しい食べ物は、三分を減らして、人に食べさせる。
これこそ、世渡りのもっとも安楽な方法である。

鍵山秀三郎先生の講演で「道は生涯ゆずりきっても、大した距離にはならないでしょう。」と仰っておりました。一回たかだか数十センチが、当人の人生をどのように左右するのか。感慨深いお言葉でした。

また、師匠の一人である、以前勤めていた会社のボスは、「ガキとダンナの違い」で、食べ物を譲り合うたとえ話をよくしていました。

ここにとても長いお箸があります。
とても長いので、自分の口へは運べません。
しかし、料理はお箸を使ってでしか食べられません。
ガキは必死に自分の口へ運ぼうと苦心しますが、一向に食べることができません。
一方ダンナは、お互いの口に料理を運びあって、喜びを分かちあっています。
餓鬼ではなく、旦那になりましょう。と。

仏教では6大実践徳目の一つ「布施」に始まり、有財、無財の様々な施しがあります。
二宮尊徳もまた「推譲」を4大実践徳目の一つとして重要視しました。

ゆずる行為とは、自らを慎み律して、他人を思いやる行為です。

自分を強くし、他を思いやれる。
そんな人間になっていきたいと思います。

菜根譚 (講談社学術文庫)
菜根譚 (講談社学術文庫)
おすすめ平均
stars生き方について
stars論語と並ぶ名著
stars加える 増やす 進む 昇る そんな一辺倒で良いの?
stars儒教・仏教・道教の三教を根幹とし、生活における中庸を解く
stars自分でイメージをふくらませて・・

Amazonで詳しく見る by G-Tools

神奇卓異は至人にあらず

醲肥辛甘(じょうひしんかん)は真味(しんみ)に非ず。
真味は只だこれ淡なり。
神奇卓異(しんきたくい)は至人(しじん)に非ず。
至人は只だこれ常なり。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

濃い酒や肥えた肉、辛いものや甘いものなど濃厚(クドイ)味は、ほんものの味(うまさ)ではない。ほんものの味は、水や空気のように淡白なものである。同様に、人並みはずれた特異な才人は、至人ではない。至人とは、ただ平凡な人である。人間も人並はずれたすばらしい才能の持ち主が、その道を極めた達人とは必ずしも言えない。達人とは、ごく普通の人の中にいるものである。

昔は偉人とは才知に溢れた人のことだと思っていましたが、今ではだんだんこのことがわかってきた(ような)気がします。

大きな成果を残す人は、一つのことに集中・覚悟して、それに一身を捧げて追求することができた人だと思います。

森信三先生も以下のように仰っております。

」を知るとは自己の限界の自覚ともいえる。随って人間も「分」を自覚してから以後の歩みこそほんものになる。だが才能のある人ほど、その関心が多角的ゆえ「分」の自覚に入るのが困難であり、かつ遅れがちである。

自己の限界を知ることで、自分は才人ではなく至人であり、だからこそ、一つの志に生きることを覚悟することができるのだと思います。そして、覚悟の決まった人間は偉大な成果を残すことができるのだと思います。

成果は覚悟に比例するものだと思っています。

自己の限界というものも、様々なことにチャレンジした結果、認識されるものであるはずなので、安易に自己の限界を決めることはできません。人は自分を実際以上に買いかぶるものではありますが、買いかぶってチャレンジした結果、自分の限界を認識していけたらと思います。そして限界の認識が「スタート」地点なのだと心得、ともかく、早くそのスタート地点に立つ努力・チャレンジを重ねなければと思います。

菜根譚 (講談社学術文庫)
菜根譚 (講談社学術文庫)
おすすめ平均
stars生き方について
stars論語と並ぶ名著
stars加える 増やす 進む 昇る そんな一辺倒で良いの?
stars儒教・仏教・道教の三教を根幹とし、生活における中庸を解く
stars自分でイメージをふくらませて・・

Amazonで詳しく見る by G-Tools

菜根譚―草の根を食べるほどの逆境におかれても

菜根譚は、中国明代末期、洪自誠(洪応明)によって書かれた処世哲学の書です。
当時、中国ではさほど読まれず、明治時代に入ってから日本でよく読まれるようになりました。
しかし、近年、中国や韓国でも広く読まれるようになったそうです。

菜根譚の由来は、朱子の編んだ古典「小学」の最終章にあります。

汪信民(おうしんみん)、嘗(か)って人は常に菜根を咬(か)み得(う)れば、
則(すなわ)ち百事做(な)す可(べ)し、と言う。

通常は、葉や茎や実を食べる野菜のその根までも食味する、
そのような逆境にみまわれてもそれをよく忍耐しえたならば大抵の事はのりきれる、
という意。

また、著者の洪自誠と同時代を生きた傑僧に紫柏達観という人物がおります。
その紫柏大師の「食菜」という五言詩にこうあります。

菜の味の淡きを嫌うこと莫(な)かれ。
淡き中の赴(おもむ)きは甚(はなは)だ長(すぐ)る。
長れる者は以て久しかる可く、
久しければ則ち歳の霜に耐う。
人は梁(こめ)と肉は美(うま)しと謂うも、
我は菜の根の香(かんば)しきを愛す。
東坡(とうば)は曽(かつ)て言う有り、
大丈夫は須(すべか)らく嘗(な)むべし。
淡白は高明を滋(ま)すも、
奢侈は心光を泊(みだ)す。
節倹は家を成す可きも、
費せば則ち淫荒に近し。
我が冷舌(れいぜつ)の言を聴かば、
天下も亦(ま)た康(やす)んず可し。

菜根とはあくまで蔬菜(そさい)の根の意であって、
大根や人参などの根菜だけのことではありません。
この食菜の詩は、汪信民の発言をより、丁寧に表現したものであると思います。

淡きを尊重する東洋の思想に共感を覚えます。
奢侈を嫌う思想に気高さを感じます。
極貧の中で、根を味わう艱難辛苦に思いを馳せ、いざそうなったとき、
乗り越える強さを身に付けたいと思いました。

菜根譚 (講談社学術文庫)
菜根譚 (講談社学術文庫)
講談社 1986-06
売り上げランキング : 6323

おすすめ平均 star
star生き方について
star論語と並ぶ名著
star加える 増やす 進む 昇る そんな一辺倒で良いの?

Amazonで詳しく見る by G-Tools

人間をみがく―『小学』を読む
人間をみがく―『小学』を読む 安岡正篤講話選集刊行委員会

ディシーエス出版局 2001-07
売り上げランキング : 167359

おすすめ平均 star
star「小学」とは・・・
star襟元を正したい大人へ

Amazonで詳しく見る by G-Tools

Page 2 of 212