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武士道の義と勇

義…信頼の徳

義とは、信頼の徳です。
人間関係を保つための信義の徳。
人間関係を保つための真っ直ぐな狭い道です。

孟子曰く「仁は人の安宅なり、義は人の正路なり」

「仁」は住み心地のよい家のように安らかな身の置き所であり、「義」は人の踏み行うべき正しい道である。

また、孟子曰く、「仁は人の心なり、義は人の路なり。その路を舎てて由らず。その心を放ちて求むることを知らず。哀しいかな。人、鶏犬の放つことあれば、即ちこれを求むるを知るも、心を放つことあるも求むるを知らず。」

「仁」とは人の心であり、「義」とは人の道である。その道を捨てて歩むことをせず、その心を失って顧みようとも思わない。悲しいことだ。人は、鶏や犬がいなくなれば、すぐ探し求めるのに、道を捨て、心を失っても取り戻そうとしない。

勇…義によっておこる勇気

勇は正しいことをする勇ましい心であります。

孔子曰く「義を見てせざるは勇なきなり」

勇気とは正しいことをすることである。

また、孔子曰く「勇ありて義なきは乱を為す」

「勇」があっても、そこに「義」がなければ世を乱すもととなる。

このように、「勇」は「義」によって発動されるのでなければ、徳行の中に数えられる価値がないとされました。

道徳的勇気と肉体的勇気

死に値しないことのために死んだり、ただ闇雲に危険を冒すことなどは「勇」と呼ばず、それらは「犬死」とか「蛮勇」として蔑まされる対象となりました。

武士道の中では、大事に当たって奮い起こす勇気である「大義の勇」と、思慮分別なくただ血気にはやる浅はかな勇気である「匹夫の勇」は明確に区別されました。

静的勇気と動的勇気

「果敢な行為」が勇気の動的表現であるならば、「平静さ」とは、勇気の静的表現であります。

真に勇敢な人は常に落ち着いていて、決して驚き慌てず、何ものによっても心の落ち着きが乱されることがあってはなりません。そのような人物を真に偉大な人物として賞賛するのが武士でした。

最後に、新渡戸稲造先生は、勇気と名誉はともに価値ある人物のみを平時に友とし、戦時においてはそのような人物のみを敵とすべきことを要求しているのである。と説明し、勇気が高みに達するとき、それは「仁」に近づくと締めくくっています。

義と勇は表裏一体であり、切って離しては存在する価値がないものだと学ぶことができました。義と勇の関係は、文と武の関係であり、文武両道の本当の意味がここにあるのだということを改めて感じました。

胆力を養う努力を続け、正しい道を踏み生きていけるよう、常に気を張って生きていきたいと思います。

武士道―人に勝ち、自分に克つ強靭な精神力を鍛える   知的生きかた文庫 武士道―人に勝ち、自分に克つ強靭な精神力を鍛える 知的生きかた文庫
奈良本 辰也

ビジュアル版 対訳武士道 ビジュアル版 対訳武士道
新渡戸稲造博士と武士道に学ぶ会

生きる上で押さえる5つの道と3つの徳

中庸の書では、五達道三達徳という、世の中どこでも通用する5つの道と、世の中どこでも通用する3つの徳があると言います。

世界中いつでもどこでも通用する道として五つのことがあり、それを実践するための手段として三つのことがある。
君臣との間の道、父子との間の道、夫婦との間の道、兄弟との間の道、そして友達同士の間の道、この五つが、世界中にあまねく通用する道である。
また、知と仁と勇との三つが、世界中にあまねく通用する徳(もちまえ:身についた才能)であって、五つの道を実践するための手段となるものである。

(中庸:第八章)

五達道、孟子で言う五倫と同じ五つの人間関係。
この五つの具体的な人間関係が人倫(人として従う道)を律する徳目として掲げられています。

また、三達徳とは、論語で言う「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」の三つの徳。

  • 知者は、道理を熟知しているので(その是非、正邪を判断することができるので、事に臨んで)惑わない。
  • 仁者は、道理に則っているので(一点の私心もなく、己の分を尽くし人としての道を行うので煩悶もなく、すべての物事に対して)憂えない。
  • 勇者は、道理を弁(わきま)えているので(心が大きく強く、道義にかない虚心坦懐であるから、何事に遭遇しても)尻込みしない。

知仁勇の三つを弁えたなら、わが身の修め方がわかる。わが身の修め方がわかれば、人を治めるその治め方もわかる。人の治め方がわかれば、天下や国や家の治め方もわかる。

(中庸:第八章)

基本となる人間関係を大切にして過ごし、知仁勇を少しでも弁えて生きていけるよう慎んで生きたいと思いました。

大学・中庸 大学・中庸
金谷 治

当たり前のことを当たり前のように(庸徳・庸言)

中庸の書に、孔子が君子のふみ行うべき道は四つあり、私はいまだその一つもうまく行えていない。と語っている章があります。

第一には、自分の子にこうあってほしいと望むことを、自ら行ってそれで親にお仕えするということ。
第二には、自分の家臣にこうあってほしいと望むことを、自ら行ってそれで君主にお仕えするということ。
第三には、自分の弟にこうあってほしいと望むことを、自ら行ってそれで兄にお仕えすること。
第四には、自分の友達にこうあってほしいと望むことを、まず自分のほうから先に行うということ。

いずれも、まだよく出来ていない。

(中庸:第三章三節)

とても、身近で分かりやすい徳目ですが、それを当たり前のこととして一つ一つ実行していくのはやはり難しいようです。

平凡で当たり前の徳(庸徳)を実行し、平凡で当たり前のことば(庸言)を慎重にして、そうやって過ごしていきたいと思いました。

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金谷 治
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