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菜根譚に学ぶ「見えないところほど気をつける」

肝、病を受くれば則ち目は視ること能わず、腎、病を受くれば則ち耳は聴くこと能わず。
病は人の見ざるところに受けて、必ず人の共に見るところに発す。
故に君子は罪を昭々に得ることなきを欲せば、先ず罪を冥々に得ることなかれ。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

肝臓が痛むと目は見えなくなり、腎臓が痛むと耳は聞こえなくなる。
このように、病は人に見えない内部に起こって、やがて必ず誰にも見える外部に現れる。
だから君子は、人まえで罪を得たくないなら、まず人目につかぬところで罪を得てはいけない。

自分の本性が一番出やすい人から見えぬところほど気を付けなければなりません。

人の見ないところがきっちり締まっていれば安心です。

四書大学にも「君子は独りを慎む」とあります。
君子は、人前だけでなく一人でいるときも行いを慎み、道に背かないようにする。

このようにありたいと思います。

菜根譚 (講談社学術文庫)
菜根譚 (講談社学術文庫)
おすすめ平均
stars生き方について
stars論語と並ぶ名著
stars加える 増やす 進む 昇る そんな一辺倒で良いの?
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車を運転している時間の有効活用

引っ越してから車に乗って移動する時間が長くなりました。
ずっと音楽を聴いていましたが、運転中の時間を活かしきれず、最近はこの時間が勿体無いと思い始めていました。

以前、たまたま手に取った松原泰道老師の本に、説法のCDが付いていたことがきっかけで気が付きました。そうだ。講演や説法などCDで聴けるものを探せば移動中も時間を有効に活用できる。と(今更ですがw)

そこで、探してみると論語や大学などの中国古典も朗読CDがあったりして、素読の勉強にもなるなと新しい発見がありました。

これから日新館のホームページをリニューアルしますが、日新館に入学した子供が論語や大学の素読を始めた歳が10歳でした。神童と呼ばれるような子供は3~5歳で古典を習い諳んじたそうです。

現代の研究結果からも、難しい漢字は幼い頃(幼稚園くらいから)のほうが良く覚えるらしいです。

自分は、当時の10歳の子と同じスタートラインに並んでいること、もしかしたらそれ以下かもしれませんが、そのことを自覚し、心して精進していきたいと思います。

オススメの講演・説法・朗読CD

百歳で説く「般若心経」 百歳で説く「般若心経」

成功のために大切なこと 成功のために大切なこと
PHP総合研究所

日本人のこころと品格(10)~儒のこころ 日本人のこころと品格(10)~儒のこころ
矢崎滋

読本『仮名大学』 『大学』を素読する 読本『仮名大学』 『大学』を素読する

炎の陽明学~山田方谷伝~ を読んで3/3

古典・大学に修己治人の学として8条目あります。

格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下

偉人は皆、己を修める(修己)前5つの項目を徹底するか、人を治める(治人)の後ろ2項目を徹底するか、あるいは、どちらも徹底するのですが、間にある「家」をも斉えた人物というのは少ないように感じます。
(※斉家も優れた代表的な偉人がいたら教えて下さい。。。)

山田方谷しかり、良く学び、良く励み、奢侈を嫌い、不正を嫌い、己には厳しい倹約的生活を課していました。その結果、見事国を治めるに至りました。明治の新政府からは、天下を治める手助けをして欲しいと岩倉具視大久保利通木戸孝允など敵陣営だったにも関わらず、声が掛かりました。

農商出身の山田方谷にとって、これ以上の出世はありませんでした。
これも一重に幼い頃より儒学を丹念に学んできた結晶だと思います。

しかし、華々しい表の活躍とは打って変って、家庭生活はうまくいかないことが多かったようです。

2度の離婚もさることながら、藩政においては神がかり的な改革を成し遂げた方谷が、晩年の山での隠居暮らしでは、凡ミスをおかしています。普請道楽・普請地獄。
門下生として学びたいと各地から集まる入門希望者のために、家を大きく造りすぎて、予算をはみ出してしまいました。その借金のために、ずいぶん苦労したようでした。

方谷が家計簿に書いていた詩(原文は漢詩)を紹介します。

借金が何だというのだ、わずかなお金じゃないか。
とるにたらないことに心をわずらわすなんて。
ちゃんと胸中には支払い見こみが立っている。
夫の私は蔵書を売り、女房はかんざしを売ればすむことだ。

藩の最高権力(今でいう総理大臣)にまで上り詰めた奇跡の財政改革者の裏にはこんな一面があったというのが可笑しくなります。

これは教訓だと思います。

どんなときでも油断は禁物。
わずかな油断が大きな綻びへと繋がるやもしれません。
歴史や偉人に学ぶ一つの大きな意味に、教訓があることだと思います。
完璧に限りなく近くても、完璧な人間はなかなかいません。
完璧な人間足りえると、キリストやブッダのように神や仏になるのかもしれませんが、基本的にはどこかに、人間味があり、教訓があります。

改めて教訓の大切さに気づきました。
生き方・生き様のケーススタディです。
それらのケーススタディで学んだ教訓を我が身に活かし、歩んでいきたいと思いました。

炎の陽明学―山田方谷伝 炎の陽明学―山田方谷伝

殷の湯王に学ぶ 変わらないための努力・日々改める意識

最近、朝の早起きというのが少し緩んできている日があります。

気持ちの緩みが小さなミスに留まらず、
大きな失敗へ繋がるということを身体が覚えたのか、
とても怖く思っています。

改めて、朝どう起きるべきか考えていると、
ふと、変わらないための努力というのは、
こういうことを言うのかなと思いました。

早起きなど、非常に些細で恥ずかしい話題ではありますが、
企業が売上を維持するために、努力し続ける原理と同じなのかなと思いました。

甚だレベルの低いところでの努力ですが、
程度の低い努力が次々と当たり前の習慣になっていくよう
日々意識し直したいと思いました。

殷王朝を樹立した湯王は、洗面器に
苟日新、日日新、又日新
「苟(=誠)に日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり」
の九文字を刻印し、毎朝、洗面するたびにその九文字を心に刻み、
政に臨む覚悟を新たにしたと四書「大学」にありました。

良習慣を身に付け、さらに日々新たにできるよう、
心掛けていきたいと思います。

大学・中庸 (岩波文庫) 大学・中庸 (岩波文庫)
金谷 治

二宮尊徳の教え 其の二 柿を選ぶのにも

世の中を見てみなさい。一銭の柿を買うのにも二銭の梨を買うのにも、芯がまっすぐでキズのないものを選んで取るだろう。また、茶碗ひとつ買うにも、色のいいもの形のよいものを選び撫でてみて、音を鳴らして聞き、選りに選んで取るものだ。世の中の人は、みなそうだ。柿や梨でさえ、ここまでして選ぶのだ。ならば、人に選ばれて、婿や嫁となる者、あるいは仕官して立身を願う者は、自分の身にキズがあっては、人が取ってくれないのは当然のことだ。自分がキズをたくさん持っているのに、上に立つ人に用いられなかったとき「自分を見る目がない」などと上の人を悪くいって非難するのは、大きな間違いである。自らを省みよ。必ず自分の身にキズがあるからに違いない。

(参考:現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉

このように説いています。非常に分かりやすい説明です。
どんなに安い買い物をするときにでも、下手なものは選ばないように用心するのが人の性。ましてや、人を選ぶ際は尚更だと心得なければなりません。どんな場合でも、原因は必ず自分にあるものです。

人の「身のキズ」とは、例えば、酒が好きだとか、酒の上での不埒だとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、惰弱だとか、無芸だとかが挙げられるだろう。何か一つか二つのキズがあるならば、買い手がないのも当然だ。
古語(大学:伝6章)に「心の中の真相は、必ず外にあらわれる」とあるが、キズがなくまっすぐな柿が売れないはずがない。逆に、たとえ草深い中でも、山芋があれば、人がすぐに見つけて捨ててはおかない。また、泥深い水中にいるウナギやドジョウも、必ず人が見つけて捕えるのが世の中だ。そうであれば、内に真心があれば、それが外にあらわれない道理があるはずがない。この道理をよく心得て、自分の身にキズがつかないように心がけなければならない。

身のキズという点において、とても耳の痛い話でありますが、なるほどそうだ。と、しっくりきます。自分で自分を正しく品定めする力(客観的な視点)を養い、キズも個性の内などと自分を甘やかすことなく、心身を整える必要があると思いました。
人というものは、良いものであればどんなものでも貪欲に探し当てます。キズ一つ無い我が身であれば、世にあらわれない道理がないというのは、励み甲斐のあることではないかと思います。

現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉 現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉
渡辺 毅
大学・中庸 (岩波文庫) 大学・中庸 (岩波文庫)
金谷 治

本当に美しいもののあり方

詩経に「錦を衣て絅を尚う(にしきをきてけいをくわう)」とあります。
錦は薄ものをすかしてこそ美しいと錦の華やかさが外に出るのをきらったものです。

そこで、君子のふみ行う道は人目を引かないで、それでいて日に日にその真価があらわれてくる。
はっきりと人目を引きながら、それでいて日に日に消え失せてしまうのではなく(表面的なのではなく)、何事も身近な地味なことから始めれば、進んで徳の世界に入ることができる。

(中庸:第十九章)

と中庸の最後の章で説かれていました。

内に省みてやましいところを持たず、心に恥じることもない。
そんな風に地道に慎んで修養し、内面をしっかりと磨きたいと思いました。

また、大学・中庸を読み終えて感じたことは、「慎む」という徳をとても重要なものとしていたことです。
今の社会で忘れがちになってしまっている徳のひとつだと思います。
日本人はこの美しい徳を元々内面に備えていることを誇りに思い、「君子は独りを慎む」とあるように、誰が見ていなくとも、自分の行いを謹んで、良心に恥じるようなことが無いよう、生き抜きたいと思いました。

大学・中庸 大学・中庸
金谷 治

誠の働きは天地自然と一致する

「天地と三つに並んで対等」に続きますが、誠の働きというのは奥が深いことを知りました。

完全な誠のはたらきは継続的で止るときがない。
止るときがなければ長く続き、長く続けばその効果があらわれる。
効果があらわれたとなると、その誠の働きはどこまでもいつまでもはるかな遠くまで行き渡り(悠遠)、はるかな遠くまでゆきわたると、それは広々として上下に厚く行われ(博厚)、広々として上下に厚く行われると、それは高々として光明にあふれて行われる(高明)。

  • 「博厚」であることは、万物をその上に載せる「大地」のはたらきである。
  • 「高明」であることは、万物をその下に覆う「大空」のはたらきである。
  • 「悠遠」であることは、万物を成り立たせる「天地」のはたらきである。

完全な誠のはたらきは、大地のはたらきと一致し、大空のはたらきと一致し、天地とひとしく、無限無窮ということである。
こうしたはたらきは、それをことさらに見せびらかしているのではないのに、はっきりとあらわれ、ことさらに動かしているのではないのに、おのずからに変化し、ことさらな作為をするのではないのに、全てが自然に成し遂げられる。

(中庸:第十四章)

このように説かれています。

天地自然のような絶えることの無い慈悲に溢れたはたらきに、己の誠をいかに近づけていくか。
止まず追求していくか。大きな目標になります。
また、重要なのはやはり誠を「継続」させるということです。
継続こそが、結果を生み出す第一の条件だということを改めて認識させられました。

大学・中庸 大学・中庸
金谷 治

天地と三つに並んで対等

天の道としての誠が完全に身に備わっていて、そこから本当の善をはっきりと見抜いていくのを、それを本性そのままのことという。
反対に、本当の善をはっきり認識して、それを積みあげていってそこから完全な誠にゆきつくのを、それを道を修める教えのことという。
前者は自然な天の道としての聖人のこと、後者は人の行うべき道として教えをうける人のことである。
しかし、誠であればおのずからはっきりした善の認識が得られるように、本当の善をはっきり認識していけばまた誠も完全に身に備わるものだ。

(中庸:第十二章)

誠が完全に身に備わっていない自分としては、まさに、後者であらんと日々努力あるのみだと思っております。人の行うべき道。善の認識。これらをしっかりと身に修め、最終的に誠が身に備わればと思っております。

後者も最終的にはゆきつくところは聖人と同じになりえるのだと、「中庸」では続いています。また、天の道の誠を身に備え、本性をいかんなく発揮する人物は、天地自然と対等になりえるのだとも説いています。

本性を十分に発揮させることができれば、人にも物にも本性を働かせる事ができるようになる。それは天地自然の造化育成を助けていることになり、天地自然の造化育成を助けられるとなれば、天地と三つに並んで対等に立ったことになるのである。

(中庸:第十二章)

まさに、そのような境地に達する事ができれば本望です。
天地自然の中で生きていることをかみ締め、人間関係の中で生きていることをかみ締め、その中で最善でありたいと思っております。

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金谷 治

正しい知行のプロセス・継続は力なり

何事でもひろく学んで知識をひろめ、詳しく綿密に質問し、慎重にわが身について考え、明確に分析して判断し、丁寧に行き届いた実行をする。

まだ学んでいないことがあれば、それを学んで十分になるまで決してやめない。まだ質問していないことがあれば、それを問いただしてよく理解するまで決してやめない。まだよく考えていないことがあれば、それを思索して納得するまで決してやめない。まだ分析していないことがあれば、それを分析して明確になるまで決してやめない。まだ実行していないことがあれば、それを実行して十分に行き届くまで決してやめない。

他人が一の力でできるとしたら、自分はそれに百の力を注ぎ、他人が十の力でできるとしたら、自分はそれに千の力を出す。もし本当にそうしたやり方ができたら、たとい愚かな者でも必ず賢明になり、たとい軟弱な者でも必ずしっかりした強者になるであろう。

(中庸:第十一章)

学んでから実行するまでのプロセスの中で、特に私が注意しなければならないポイントがあります。慎重にわが身について考え、そして明確に分析するという点です。

「思い立つ→行動」という脳みそに優しい行動パターンで懲りずに色々失敗をしてきました。
「丁寧に、慎重に、わが身について考える」「よくよく分析して判断する」思いを巡らすことが足りず色々と迷惑をかけてきました。

「かくあるべし」と覚悟を決めたからには、その意に反することはせず、知行が己の志に基づいた人生を一時も怠ることなく歩んでいきたいと思います。

大学・中庸 大学・中庸
金谷 治

生きる上で押さえる5つの道と3つの徳

中庸の書では、五達道三達徳という、世の中どこでも通用する5つの道と、世の中どこでも通用する3つの徳があると言います。

世界中いつでもどこでも通用する道として五つのことがあり、それを実践するための手段として三つのことがある。
君臣との間の道、父子との間の道、夫婦との間の道、兄弟との間の道、そして友達同士の間の道、この五つが、世界中にあまねく通用する道である。
また、知と仁と勇との三つが、世界中にあまねく通用する徳(もちまえ:身についた才能)であって、五つの道を実践するための手段となるものである。

(中庸:第八章)

五達道、孟子で言う五倫と同じ五つの人間関係。
この五つの具体的な人間関係が人倫(人として従う道)を律する徳目として掲げられています。

また、三達徳とは、論語で言う「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」の三つの徳。

  • 知者は、道理を熟知しているので(その是非、正邪を判断することができるので、事に臨んで)惑わない。
  • 仁者は、道理に則っているので(一点の私心もなく、己の分を尽くし人としての道を行うので煩悶もなく、すべての物事に対して)憂えない。
  • 勇者は、道理を弁(わきま)えているので(心が大きく強く、道義にかない虚心坦懐であるから、何事に遭遇しても)尻込みしない。

知仁勇の三つを弁えたなら、わが身の修め方がわかる。わが身の修め方がわかれば、人を治めるその治め方もわかる。人の治め方がわかれば、天下や国や家の治め方もわかる。

(中庸:第八章)

基本となる人間関係を大切にして過ごし、知仁勇を少しでも弁えて生きていけるよう慎んで生きたいと思いました。

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金谷 治
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