綱渡りが喝采を受けるのは、なるほど途中でも
喝采は受けましょうが、しかし真の喝采となると、
どうしても向こう側へ着いてからでないと、
真の喝采とは言えないでしょう。
と言うのも、もしも万一のことがあったならば、
途中での喝采はたちまち無効になるからです。
そこで真に間違いのない喝采となると、やはり首尾よく
綱を渡り終えてからでないといけないわけです。
同様に今、人間の真価が本当に認められるのも、
綱を渡り終えたところ、即ち亡くなってからのことでしょう。
しかし、その真価は、死後にあるのではなくて、
実に生前の生活そのものにあることを忘れてはならぬのです。
結局一口に申せば、その人の一生が、いかほど誠に
よって貫かれたか否かの問題でしょう。
―と、森信三先生は仰っております。
とてもわかりやすい例えでした。
いくら、途中までは努力していたとしても、
最後まで渡りきらなければ全くそれまでの努力は
無効となるのです。
綱渡りは一瞬の油断も、停滞も出来ません。
油断したら落ちるし、立ち止まっても落ちる。
まるで人生そのものです。
そして、死んで初めてその真価が評されるというのも
全くその通りだと思いました。
自分は、人生という綱の上にいることをよくよく
イメージして、一歩一歩をより慎重に、そして、
止まることなく、歩いて行かなければと思います。
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