Monthly Archives: 12月 2009 - Page 2

菜根譚に学ぶ「潔癖の信条には人が寄りつかない?」

地の穢れたるものは多く物を生じ、水の清めるものは常に魚なし。
故に君子は、当に垢を含み汚を納(い)るるの量を存すべく、潔を好み独り行なうの操を持つべからず。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

きたない土にはたくさん作物ができ、澄みきった水にはまったく魚は住みつかない。だから君子は、恥や汚れを許容する度量を持つべきであり、潔癖すぎて孤立する信条を持つべきではない。

何事も過ぎると及ばないということでしょうか。
真水に魚が住まないように、人が寄り付かないほど潔癖すぎる信条は持つべきでないと説いています。
素晴らしい信条を掲げ、その通り実践しながらも、どろくさく、人間臭くさい人に魅力を感じるのは確かになと思います。

恥や汚れを許容する度量。大切なことだと思いました。
生物が生成発展する環境とはどんな環境なのか、本から学ぶだけではなく、自然との対話からも本当の天理を学んでいけたらと思います。

菜根譚 (講談社学術文庫)
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菜根譚に学ぶ「見えないところほど気をつける」

肝、病を受くれば則ち目は視ること能わず、腎、病を受くれば則ち耳は聴くこと能わず。
病は人の見ざるところに受けて、必ず人の共に見るところに発す。
故に君子は罪を昭々に得ることなきを欲せば、先ず罪を冥々に得ることなかれ。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

肝臓が痛むと目は見えなくなり、腎臓が痛むと耳は聞こえなくなる。
このように、病は人に見えない内部に起こって、やがて必ず誰にも見える外部に現れる。
だから君子は、人まえで罪を得たくないなら、まず人目につかぬところで罪を得てはいけない。

自分の本性が一番出やすい人から見えぬところほど気を付けなければなりません。

人の見ないところがきっちり締まっていれば安心です。

四書大学にも「君子は独りを慎む」とあります。
君子は、人前だけでなく一人でいるときも行いを慎み、道に背かないようにする。

このようにありたいと思います。

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貧しさが感謝を生み、感謝が豊かさを生む

家はもらぬほど、食事は飢ぬほどにてたる事なり。これ仏の教、茶の湯の本意なり。水を運び、薪をとり、湯を沸かし、茶をたてて、仏にそなへ人にほどこし、吾ものむ。花をたて香をたく。みなみな仏祖の行ひのあとを学ぶなり。

千利休の南方録より。

貧しければ貧しいほどいいのだ。貧しいければ、何をいただいてもありがたいという気持ちになる。しかし、貧しさを知らなかったら“なんだこんなもの”と軽くあしらってしまう。そういう増上慢になったらいけない。

裏千家前家元 千玄室氏の師匠談。

などなど。

先週から始まった「NHK坂の上の雲」でも阿部寛氏が演じる秋山好古は贅沢を嫌い、身辺は単純明快を好む非常に質素倹約の人でした。

現代は、つい贅沢を好み、贅沢を追及してしまいがちですが、貧しさの中にこそ本当の贅沢(感謝の心)があることも決して忘れてはいけないことだと感じます。

偉人と呼ばれる人間に奢侈を嫌う人が多い理由をよくよく考え、贅沢をするために人物としての大成を目指すのではないことを肝に銘じたいと思います。

知足安分。

足るを知り、分に安んず。

外を追求するのではなく、内を追及していく。

そんなふうに生きて行きたいと思います。

『致知』2010年1月号参考:致知2010年1月号

菜根譚に学ぶ「埋没するなかれ」

身を立つるに一歩を高くして立たざれば、塵裡に衣を振い、泥中に足を濯うが如し。如何ぞ超達せん。世に処するに一歩を退いて処らざれば、飛蛾の燭に投じ、羝羊の藩(まがき)に触るるがごとし。如何ぞ安楽ならん。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

一人の人間として生きていくには、一歩高い視点に立たないと、まるで塵のなかで衣を振るい、泥の中で足を洗うようなことになる。どうして世俗を超脱できようか。
俗世間とつきあうには身を一歩退いてつきあわないと、まるで蛾が燈火に投じ、牡羊が垣根に角をつっこんだようになる。どうして安楽に暮らせるだろうか。

物事に埋没して、捉われてはいけないなと思います。

どうしても現実に生きていると、現実にはまり込み、随分低いところまで降りてきて、作業しているなということに気付きます。

自分では、塵の中で衣振るうような愚かなことはしていないと思っているし、泥の中で足を洗うようなことはしていないと思っている。しかし、本当にそうであろうか。

常に高い視点で物事を捉え直すことが必要だと改めて感じます。

高い視点に立ち、気付くことがあったなら、どんなに作業を進めていても、直ちに修正しなければなりません。

一歩を踏み込むときと、一歩退くとき。
一段降りるときと、一段昇るとき。

しっかりと制御しなければと思います。

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菜根譚に学ぶ「わきまえることを知る」

卑(ひく)きに居りて而る後、高きに登るの危きたるを知る。
晦(くら)きに処りて而る後、明るきに向うの太だ露わるるを知る。
静を守りて而る後、動を好むの労に過ぐるを知る。
黙を養いて而る後、言多きの躁たるを知る。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

低いところにいるからこそ、高いところへ登るのが、危険であることをわきまえる。
暗いところにいるからこそ、明るいところへ出ることが、あまりにでしゃばりすぎることをわきまえる。
静虚を守っているからこそ、活動ばかりを好むのは、やりすぎであることをわきまえる。
寡黙を守っているからこそ、多弁がいかに騒がしいかをわきまえる。

わきまえる」という言葉が最近良く耳につきます。

「身の程をわきまえる」「分をわきまえる」など「わきまえる」というのは少しネガティブな要素を持っているように一見感じます。

ポジティブな考え方がもてはやされている昨今、わきまえるなんてとんでもない。どんどん前へ出ろ。とにかく進め。と言われそうですが、一見このネガティブな「わきまえる」という姿勢は非常に大切だなと思います。

特に、自分のようにあれもこれも手をつける、そして不必要にポジティブすぎる人間に必要な能力なのかなと思います。

わきまえる。というのは一種の覚悟なのだと思います。

自分の立ち位置がはっきり定まっている覚悟の決まった人間なら、足ることも過ぎることもないように。

覚悟のある人生を過ごしていきたいと思います。

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