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八海山の酒造りの姿勢に学ぶ経営思想

八海山というと、一時期ブームになった日本酒ですが、どんな姿勢でお酒造りをしているのか、南雲社長のインタビューを月刊致知(10月号)で読みました。

一、良い酒を作りたい「熱意」と「努力」
新潟のお酒が有名になってきたのはここ四、五十年だそうです。日本酒作りは古くから歴史がありますが、新潟のお酒が日の目を見る事はありませんでした。
しかし、新潟のお酒をなんとか良くしたいとの先代の熱意と努力で今日があると語られています。

松下幸之助翁も繰り返し語っていますが、「熱意」が一番最初になければ、何事も起こらないということだと改めて感じました。

何としてでも二階に上がりたい!という強い意志が「梯子」を作らしめるのであって、優秀な人が「梯子」を作るわけではない。という例え話に通じます。

一、明確な理念
八海山を作っている八海醸造㈱は大正十一年に創業しました。
現社長の祖父の創業です。日本酒業界の中ではかなりの若手だと思いますが、なぜここまで酒=新潟という全国的な知名度を勝ち取れたのか。明確な理念が受け継がれているからだと思いました。

淡麗というカテゴリーの中で高品質な清酒を造る。それには大吟醸酒作りを目指す。

この一点のみに全力を捧げているということです。

酒造りに妥協を許さないというのは、どこの酒造も勿論その意気であると思いますが、○○のカテゴリーにおいて、というとても明確な目標があることが無名の醸造会社を一躍有名にさせた理由なのかなと思いました。

一、役割の明確化と供給責任
そして、面白いのは、お酒造りをしている本体である製造部門と営業を担当している販売部門を別々の会社にしたという点です。

人気が出ると、往々にして販売部門から「もっと利益の出せる製品にしてほしい」とか「もっと市場にウケがいいものを作ってほしい」など要請が出てきます。
それに応じてしまうと、八海山を作っているのか、何を造っているのか分からなくなってしまうと南雲社長は仰っています。

また、南雲社長は以下のようにも語られています。

いい酒を造るだけではなく、いい酒を求めている人達の手に行き渡るようにすることは、一つの企業責任ではないかと謂うのです。希少性を前面に出して、価格がつりあがっていくことは、品質の悪いものを市場に流すのと同じくらいお客様を無視した姿勢だと考えます。

勿論全ての商品に供給責任がもてるわけではありませんが、スタンダードラインのものに関しては上記のような姿勢を貫きたいと仰っておりました。

何を目指しているのか?
最初にあった目標、目的がいつの間にか見えなくなっているということのないように配慮されていることが良く分かりました。

何かに向って走るとき、必要なのはインターバルのための給水所でもなく、楽ちんな車でもなく、ゴールテープなのだと改めて気付かされました。

うまい日本酒はどこにある? うまい日本酒はどこにある?

高校生が感動した「論語」―佐久協

慶應高校で一番人気のある授業をする先生として、35年間漢文を担当された佐久協先生が、若者にどうやったら論語を楽しんでもらえるか工夫し、表題のタイトルの本を出版されました。

佐久先生は「大人になって社会に出、人と人との間で揉まれ苦しむとき、真に役に立つのが論語である。だが、誰もが高校の授業で一度は触れた論語を、歳を重ねて読み返したりはしない。こんなにもったいないことはない」と語ります。

自分も、高校で論語を学びましたが、授業外でそれを思い出したことは一度もありませんでしたし、漢文自体なんで今更こんなものを学ぶのだろうという程度の次元の低い認識でした。

しかし、今は確かに「もったいなかった」と思います。
当時から論語はじめ、古典の普遍性を理解出来ていたらと思いますが、残念かな全く興味を示せませんでした。

この本は現代の若者にも通じるように訳が練られています。
順番も学而第一から堯曰第二十まで原文の順で並んでいるのではなく、意味でカテゴライズされていてとても学びやすいです。
例えば「人生の目標」とか「家庭生活」とか「教育と学問」という具合です。

訳は↓のような感じです。

「弟子の冉有が『先生の説には大賛成ですが、それを実行するのは、私には力不足でできません』と言うから、『「出来ない」というのは途中までやって、ぶっ倒れた者が言うセリフだよ。お前のは、「出来ない」ではなく、「やらない」の言い訳じゃないか。自分で自分をダメ人間あつかいしているのと同じだぞ』と諭してやったよ」

他の誰かに伝えるためではなくとも、自分の中にしっかりと落とし込み、身体に馴染ませるためには、もっともっと噛み砕いて消化しなければなりません。

その一躍を担う本に出合え嬉しく思います。

追記
漢文がセンター試験の科目から外れる!?
授業から漢文が無くなる日も遠くないのでしょうか…

高校生が感動した「論語」 (祥伝社新書) 高校生が感動した「論語」 (祥伝社新書)

車を運転している時間の有効活用

引っ越してから車に乗って移動する時間が長くなりました。
ずっと音楽を聴いていましたが、運転中の時間を活かしきれず、最近はこの時間が勿体無いと思い始めていました。

以前、たまたま手に取った松原泰道老師の本に、説法のCDが付いていたことがきっかけで気が付きました。そうだ。講演や説法などCDで聴けるものを探せば移動中も時間を有効に活用できる。と(今更ですがw)

そこで、探してみると論語や大学などの中国古典も朗読CDがあったりして、素読の勉強にもなるなと新しい発見がありました。

これから日新館のホームページをリニューアルしますが、日新館に入学した子供が論語や大学の素読を始めた歳が10歳でした。神童と呼ばれるような子供は3~5歳で古典を習い諳んじたそうです。

現代の研究結果からも、難しい漢字は幼い頃(幼稚園くらいから)のほうが良く覚えるらしいです。

自分は、当時の10歳の子と同じスタートラインに並んでいること、もしかしたらそれ以下かもしれませんが、そのことを自覚し、心して精進していきたいと思います。

オススメの講演・説法・朗読CD

百歳で説く「般若心経」 百歳で説く「般若心経」

成功のために大切なこと 成功のために大切なこと
PHP総合研究所

日本人のこころと品格(10)~儒のこころ 日本人のこころと品格(10)~儒のこころ
矢崎滋

読本『仮名大学』 『大学』を素読する 読本『仮名大学』 『大学』を素読する

人を植える道

中国古典「管子」に以下のような一節があります。

一年の計は穀を樹(う)うるに如(し)くは莫(な)し。
十年の計は木を樹うるに如くは莫し。
百年の計は人を樹うるに如くは莫し。

一年の計画を立てるなら、その年に収穫できる穀物を植えるのがよい。
十年の計画を立てるなら、木を植えるのがよい。
一生涯の計画を立てるつもりなら、人材を育成することだ。

参考:致知2009年10月号

今まさに生涯の計画を練っているところです。
ずっと自分はどのようにして生きていきたいか考えて、それでも全く方向が見えずにいましたが、ここ一、二年で目指す方向が定まりつつあります。

100年計画とまではいきませんが、50年計画の骨組みは出来上がりました。

肉付けはまだまだ必要ですが、この計画でGOサインが出せればもう後は走り続けるだけです。

GOサインを出すための最終的な決定を何とか年内にしたいと思っています。

日新館童子訓―当たり前のことを当たり前に

中国は唐の時代、名僧、道林禅師が木の上で座禅を組んでいました。そこを通りかかった、詩人の白楽天(白居易)が仏法の大意を尋ねます。
禅師は「諸悪莫作、衆善奉行」(悪いことをしてはいけない、良いことをしなさい)これが、仏法であると答えます。それを聞いて白楽天は「そんなこと、三歳の子供でも知っているではないか、わかりきったことを」と言葉を返します。
ところが、禅師は「三歳の子供も知ることだが、八十歳であっても行うのは難しい」。それを聞き悟るところがあって、白楽天はこの道林禅師からその後長く教えを受けた、という話があります。

日新館のHPをリニューアルするということで、日新館童子訓を拝読致しました。

童子訓は、(五代藩主)松平容頌公が藩内の武士の子はいかにあるべきかを書いた道徳書ですが、子供への躾が非常に詳しく載っています。

躾の中には、自分にも出来ていないことが沢山あり、己の非道徳、非常識振りに愕然とし、恥ずかしさが込み上げてきました。

また、昨夜、従兄弟に子供が生まれたという知らせもあり、弟夫婦も妊娠中と、今後、子供と接する機会が増えてくると思います。

子供への躾の前に、自らの日常の生活、人との接し方を振り返らなければならないと痛感致しました。

当たり前のことを、当たり前にできるように日々反省していきたいと思います。

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