Monthly Archives: 7月 2009

大きな過ちを犯さなくなる方法 習慣(決まりごと)の大切さ

習慣は第二の天性なり

習慣(決まりごと)には二つの良い面があると思っています。

一、習慣=継続=必ず力が付くということ
二、甘え、油断、慢心に気付くということ

一は、言わずもがな、良い習慣は必ず良い結果を導きます。
これは先人の教えであって、自分が体験したことではありません。
というのも、良い習慣を何年も継続している状態ではないからです…。
これから実証したい所存です(汗

しかし、二は、最近よくよく思うことであります。
致命的な失敗”というのは、甘え油断慢心があるとき、または、有頂天になっているときにやってきます。そして、どうやら自分はビックリするくらい甘えや油断や慢心があります。。。
どうやったらそれに由来する“致命的な失敗”を防ぐ事が出来るか、、、

それは、用心深くなることだと思います。

・甘えているのではないか?
・油断があるのではないか?
・慢心があるのではないか?
・有頂天になっているのではないか?

この問いかけを常に意識して、自分を省み、直ちに軌道修正できる人は素晴らしい人だと思います。

しかし、自分は意識レベルでの自省→軌道修正ということがうまくできません。
というより、その意識自体に甘えがある気がしています。

ならば、どうしたら用心深い人と同じように自分を省みることができ、日々の生活を戒め、改めることが出来るのかと考えたところ、自分のルールを設け、それを習慣にすることが重要だなと思いました。
意識(見えない)ではなく、行動(見える)で確認するということです。

例えば、「毎朝6時に起きる」と決めて、そのルールに則り生活をします。
6時に起きられなくなってきたら、それは自分のどこかに甘えや油断、慢心が存在してきた兆候だと判断します。

また、同じように「翌日仕事がある日はお酒は飲まない」と決めたら、そのルールを継続します。
「まぁ今日はいいか。」「一口なら飲んでないのと一緒だ。」「ある程度習慣にもなったし、少しなら問題ないだろう」と頭をよぎると、それはもう甘えであり、油断であり、慢心です。

習慣(決まりごと)にすることによって、決めた事を「破りそうになってしまっている自分がいる。」
「守れない自分がいる。」と目で見てハッキリと簡単に気付くことが出来ます。
これが自分を省みえる動機になります。

自省は、単にルールを守れていないことだけに及ばず、今は上手くいっているであろう仕事や、家庭や、健康や、、、諸事もろもろ省みることができます。

この甘え、油断は「どの綻びに繋がっているんだ?」と身を引き締めることができます。

千丈の堤も、螻螘(ろうぎ)の穴を以て潰(つい)ゆ、百尋(ひゃくじん)の屋も、突隙(とつげき)の煙を以て焚く。

訳:長大な堤防も、オケラやアリの作った穴から壊れ、城のように大きい家も煙突の隙間から出る火の粉で焼けてしまう。

わずかな手落ちや油断から、大事に至ることがあると淮南子の人閒訓にも記されています。

自らを省みる機会を与えるために、自分の決まりごとを習慣として、しっかり継続させ、油断、慢心のない生活を送りたいと思います。

追伸
習慣(継続)のポイントは「期限」を設けることだと思います。
初めから一生のルールにしてしまうと精神的に厳しいと思います。
一定期間ルールに則った生活ができると次第に期間が延長されます。
ルールに則ることが達成感に繋がり、継続できたことをより継続させたくなるのは一つの心理的な働きでしょうか。

期限を決めて実行するということが大切だなと感じました。

淮南子の思想―老荘的世界 (講談社学術文庫) 淮南子の思想―老荘的世界 (講談社学術文庫)

炎の陽明学~山田方谷伝~ を読んで3/3

古典・大学に修己治人の学として8条目あります。

格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下

偉人は皆、己を修める(修己)前5つの項目を徹底するか、人を治める(治人)の後ろ2項目を徹底するか、あるいは、どちらも徹底するのですが、間にある「家」をも斉えた人物というのは少ないように感じます。
(※斉家も優れた代表的な偉人がいたら教えて下さい。。。)

山田方谷しかり、良く学び、良く励み、奢侈を嫌い、不正を嫌い、己には厳しい倹約的生活を課していました。その結果、見事国を治めるに至りました。明治の新政府からは、天下を治める手助けをして欲しいと岩倉具視大久保利通木戸孝允など敵陣営だったにも関わらず、声が掛かりました。

農商出身の山田方谷にとって、これ以上の出世はありませんでした。
これも一重に幼い頃より儒学を丹念に学んできた結晶だと思います。

しかし、華々しい表の活躍とは打って変って、家庭生活はうまくいかないことが多かったようです。

2度の離婚もさることながら、藩政においては神がかり的な改革を成し遂げた方谷が、晩年の山での隠居暮らしでは、凡ミスをおかしています。普請道楽・普請地獄。
門下生として学びたいと各地から集まる入門希望者のために、家を大きく造りすぎて、予算をはみ出してしまいました。その借金のために、ずいぶん苦労したようでした。

方谷が家計簿に書いていた詩(原文は漢詩)を紹介します。

借金が何だというのだ、わずかなお金じゃないか。
とるにたらないことに心をわずらわすなんて。
ちゃんと胸中には支払い見こみが立っている。
夫の私は蔵書を売り、女房はかんざしを売ればすむことだ。

藩の最高権力(今でいう総理大臣)にまで上り詰めた奇跡の財政改革者の裏にはこんな一面があったというのが可笑しくなります。

これは教訓だと思います。

どんなときでも油断は禁物。
わずかな油断が大きな綻びへと繋がるやもしれません。
歴史や偉人に学ぶ一つの大きな意味に、教訓があることだと思います。
完璧に限りなく近くても、完璧な人間はなかなかいません。
完璧な人間足りえると、キリストやブッダのように神や仏になるのかもしれませんが、基本的にはどこかに、人間味があり、教訓があります。

改めて教訓の大切さに気づきました。
生き方・生き様のケーススタディです。
それらのケーススタディで学んだ教訓を我が身に活かし、歩んでいきたいと思いました。

炎の陽明学―山田方谷伝 炎の陽明学―山田方谷伝

炎の陽明学~山田方谷伝~ を読んで2/3

炎の陽明学、第2章からいよいよ藩政改革が始まります。

方谷が藩の元締め役兼吟味役(財務大臣)を任せられた当時、藩の財務状態は、実高2万石で10万両の借金+利子が毎年約1万両ずつ増えていく悲惨な状態でした。

藩政改革者として有名な上杉鷹山は、実高15万石の米沢藩で、20万両の借金を100年近くかけて返済しました。(存命中には果せず)

上記の例を見ても、2万石で10万両の借金というのは当時大変なものだったことが伺えます。

方谷はなんと、この借金を8年足らずで完済、かつ、10万両のプラスに変えてしまいました。

なぜ、このような改革を達成することができたのか、その能力を本書から三点挙げてみたいと思います。

一、人の心を汲み取る能力・人情の機微を捉える能力

農商出身者が藩の財務責任者になるという大抜擢により、藩政に携わる上級武士からは妬みを、改革に伴う大々的な倹約令により、民からは恨みを、、、このような状態で改革を成し遂げるには、人情を察し、相手を立てる能力がなければ、誰も従ってくれません。

二、ケーススタディ・歴史に学ぶ能力

ただの儒学者では、財政改革はとても為しえません。方谷が凄いのは、幼い頃からの勤勉さによって、中国歴代の財政改革への造詣も深かったことにあります。現代で言えば、MBAのケーススタディのようなものでしょうか。人は知っていれば、ある程度対応できるもの。未知との遭遇をなるべく回避するために、歴史から学ぶのだと思います。

三、デモンストレーション能力

絶望的な改革を成功させるためには、内外の士気を高めそれを維持する必要があります。方谷は、前例の無い様々なデモンストレーションを継続的に行い、藩政に関わる者、また民衆の意識を鼓舞し続けて改革に取り組みました。

一例をあげると、

当時、信用が地に落ちた紙屑同然の藩札を民から買い取りかき集め、それを一日がかりで、全て燃やし尽くす。というイベントです。これには、藩の内外から人が群がり、もったいない、もったいないと言いながらも、面白半分。その火を見つめたそうです。
このデモンストレーション直後に発行した新藩札は、民の信頼を得て広く普及し経済の潤滑油となったという逸話があります。

現代資本主義の視点からみるとこの改革は目新しくないのかもしれませんが、まだまだ金本位制度であった当時、この偉業を成し遂げたのには脱帽です。

偉人の生き様」だけではなく、現代の問題を解決するための、「ケーススタディ」も今後学んでいく必要があると、改めて歴史に学ぶ重要性を実感しました。

また、「人情の機微」は松下幸之助翁も相当に気を配られた点。人との関係で生きている世界。人の心を汲み、自分より人という精神を養わなければと思いました。

デモンストレーション能力というのは、新しい気付きです。
なるほど確かに。事を起こすとき、萎えそうな気持ちを鼓舞し継続させるとき、反発がおきると予想されるとき、、、それぞれ、かなりのエネルギーが必要だったり、エネルギーの矛先を変化させる必要があったりします。そういったエネルギーの操作をデモンストレーションを通じて行ったというのは非常に勉強になりました。

まだまだ歴史から学ばなければならないことが多くありそうです。
今後も、より一層精進していきたいと思いました。

炎の陽明学―山田方谷伝 炎の陽明学―山田方谷伝

炎の陽明学~山田方谷伝~ を読んで1/3

山田方谷は、幕末期の儒家・陽明学者です。
農商の子から備中松山藩の元締役(財務大臣)にまで上り詰め、最終的には藩主より全権を任せられ、苦境にあった当時の藩政改革を見事に成し遂げた立志の人です。

内村鑑三著の代表的日本人にて上杉鷹山が取り上げられ、ケネディやクリントンが絶賛したことから、今では、藩政改革の成功者と言えば上杉鷹山が挙がるようになりました。

ケネディやクリントンが「一番尊敬する日本人の政治家は誰ですか?」の問いに上杉鷹山と答えなければ、上杉鷹山を多くの日本人が知ることはなかったように、山田方谷もまた知られざる改革者なのかもしれません。

実績で言えば、上杉鷹山の10倍以上のパフォーマンスだったと言われています。

どうしてこのように偉大な功績を残すことができたのか――

農商の子ではありましたが、曾祖父までは名字帯刀を許された豪族でした。
方谷の祖父、父は山田家をどうにか再興させようと、方谷の教育には全力を注いだようでした。当時、下層階級の人が出世をするには、剣と学問しかありません。

そのため、幼少の頃より高名な儒学者(丸川松陰)の下で学問に励みました。

ある日、師の丸川松陰を訪ねてきた客が、教室で学習する塾生の中に、あまりにも幼い方谷がまじっているを見て驚き、少しからかい気味に方谷に質問をした。

坊や、何のために学問するの。

客人を見上げた神童はきっぱりとした口調で「治国平天下」と答えた。
客人は腰が抜けるほど仰天し、絶句した。

という逸話が残っています。

お家の復興もさることながら、何のために学ぶのかをしっかりと捉えて学問をしていたことが伺えます。

順調に学問を重ね、神童として育っていった方谷に、苦難が訪れます。
14歳、15歳にてそれぞれ母、父を失ってしまいました。
長男だった方谷は、已む無く家業を継ぎ、毎日重労働の日々に学問は遠のきました。

商売は世俗にまみれ、毎日凡庸な人との接触、損か得かのやりとりは、悔恨の日々であったと記されています。

転機は21歳のときに訪れました。
方谷の名声を遅れながらに聞きつけた藩主に目をかけられ、奨学金を貰い再度学問に専念できるようになりました。

この後、京都や江戸へ遊学し、佐藤一斎の門下で学び、佐久間象山(勝海舟の師匠)などの同門と切磋琢磨して帰国後、備中松山藩の藩校有終館の学頭(校長に相当)に32歳で抜擢されました。

方谷は、兎に角、ひたすらに学びました。
日々の生活では遊びに耽ることもなく、驕ることもなく、精進しました。

そうやって、エネルギーを内に溜めに溜めたからこそ、与えられた機会にその力を発揮することが出来たのではないかと思います。

方谷を見習い、静かに虎視眈々と胆識、胆力というものを練り蓄えたいと思いました。

炎の陽明学―山田方谷伝 炎の陽明学―山田方谷伝

インドに仏教を広める日本人・佐々井秀嶺上人

ここ数日の間に2度ほど目、耳にした人物がいましたのでご紹介いたします。

初めてその人物を知ったのが、致知という雑誌での今月号の特集記事。
昨日、禅寺の方丈様とお話をしている際に話題に上がったのが2度目。

インド仏教界の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺上人です。

今年の5月、6月と44年ぶりに日本へ帰国したということで、
各種メディアで取材されたり、講演が行われたりしているようです。

方丈様も新潟で行われた講演に出向き拝聴されたとのことでした。

講演を録音したCDと、「男一代菩薩道」という本まで貸して頂いたので、
その簡単なまとめをしたいと思います。

インドと言えば、仏教発祥の地。

その地で、仏教を布教している日本人がいるというのは、
なんとも不思議なことのように感じます。

インドだけに仏教徒は結構いるのかなと思っていましたが、ヒンドゥー教徒が人口の8割を占め、
次いで、イスラム教、キリスト教の順となっています。

仏教徒の数は公式では800万人と発表されており、
11億いる人口の中では非常に少数派となっています。

※インドの人口に占める各宗教の割合(2001年国勢調査)
ヒンドゥー教徒80.5%、イスラム教徒13.4%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.9%、 仏教徒0.8%、ジャイナ教徒0.4%

国民の大多数を占めるヒンドゥー教におけるカースト制度の影響は大きく、
3000年前から変わることなく今でも差別が続き、格差が無くならない状態です。

下位カーストが人口の3割を占め、かつ、カーストにすら属さない
不可触民(アウト・カースト)と呼ばれるさらに低い身分の人が1億人以上存在します。

現在のインドでは、多くの差別階級の人間を救うことができません。
インド独立の父ガンジー(バラモン出身)もカーストが前提の思想でありました。

そこで、真の救済を行うべく立ち上がったのが、
アウト・カースト出身で初代法務大臣を務めたインド憲法の父、アンベードガル氏です。

ブッダの教えを葬り去ったのは、インドに侵入したアーリア人であり、
それは先住民であった自分達をカースト制度の下“奴隷化”するためだった事を知った
アンベードガル氏は、インド本来の宗教である仏教で国民を救おうと決心しました。

アンベードガル氏はカースト制度による身分差別の因習を打破するため、
死の2か月前に約50万人の人々共に仏教に集団改宗し、
インドにおける仏教復興運動が始まりました。

そのアンベードガル氏の遺志を引き継ぎ、
仏教復興運動の中心人物となっているのが佐々井秀嶺上人です。

佐々井秀嶺上人は、中学生の頃に原因不明の病で死にかけ、
また様々な業に悩まされ、その後も3度の自殺未遂がありました。
救いを求めて日本各地のお寺を歩き回り、とうとう仏教に救いを見出しました。

数年後、師匠の薦めでタイへ仏教留学しました。
その最中、「龍樹」と名乗る老人からの啓示を与えられました。
インドへ行けということです。

龍樹とはブッダの教えを受け継ぐ14代目の法嗣です。
大乗仏教」を体系化し、「空の思想」を理論化した仏教史上において重要な人物です。

この龍樹菩薩の啓示が、インドで仏教を布教することになるきっかけだと話しています。

それから、インドでの仏教普及活動を自力で始めました。

インドでの仏教普及活動は命懸けです。
ヒンドゥー教徒からの弾圧や迫害は相当とのことで、幾度となく殺されかけたそうです。

それでも、カースト制度の身分差別の実態などを知るほどに、その普及活動は一段と熱を帯び、
今ではインド国籍を取得し、インドの仏教指導者にまでなりました。

現在、公式で800万人と発表されている仏教徒の数は、
政府の政策で明らかにされていないだけで、実は、3億5千万人はいるということです。

まだまだ、やらねばならぬ使命があるといいます。
この帰国を最後に、もう日本には戻らず、
命尽きるまでインドの民のために仏道を貫くとのことでした。

一つの使命の下に、命をかけられるというのは非常に尊いことだと感じました。

自分もこのような大使命の下、この命を使うことができたらと思いました。

そして、大きな使命云々を語る前に、
小さな己を磨く努力を絶やしてはならないことも改めて実感しました。

意識を緩めることなく、前進していきたいと思います。

※注意
文章中のインドの数値は参考にする資料によってマチマチで何が本当かわからないのが現状です(汗

男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺 男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺

「世界の王」はこうしてつくられた

致知8月号に王貞治さんと当時バッティングコーチを務めた荒川博さんの特集がありました。

王さんがいかにしてつくられていったか。
教える側(荒川さん)、教えられる側(王さん)という図式での対談でした。

この中で一番印象的だった点は三点。

一、努力の度合い

毎日100本バットを振っている。これも練習だ、努力だ。
俺は300本バットを振っている、自分は500本振っている…。
でも、1000本振っている人から見たら、300本も500本もみんな怠け者だよ。
だから「度合い」の違いなんだ。
100本、200本のスイングをするくらいで「努力だ」なんて恥ずかしいから言うな。

まさに、今自分がしていることを「努力」だなんて思ったら、それは、とんでもない。
そう思うことは「恥ずかしい」ことなんだと教えられました。

二、やれるまでやる

最初のうちは、なかなか効果が出ませんでした。だけど、何でもそうじゃないですかね。
目に見えてその成果が現れるようになるには、相当の量をこなさなければならない。
でも大部分の人が途中で諦めてしまうんです。

成功者が必ずといっていいほど語るフレーズです。
王さんしかり。やはり、成功するまでやり続けるから成功できるのだ。ということでした。
途中の失敗や挫折も、そこで諦めないからこそ、達成できるということを改めて教えられました。

三、プロは人間じゃない

人は「人間だからミスはするもんだよ」と言いますが、初めからそう思ってやっては必ずミスをする。
プロにミスは許されない。プロは自分のことを、人間だなんて思っちゃいけないです。

と王さんは語っています。

世界を獲るということは、このようなことでなければ成らないのだと改めて「意識」させられました。

生半可ではいけません。
自分はとにかく自分に甘いので、どうやったら自分を追い詰められるか。
もっともっと自分を追い詰めていかなければならないと感じました。

PS.
王さんもプロ入団3年間は遊び半分、仕事半分という具合でそこそこの成績でした。
何しろ3年間銀座通いを欠かしたことがない。とのこと(笑

その後、荒川コーチがついてからは「きょうから酒と煙草をやめろ。
彼女がいりゃ、彼女も捨てて、バカ一筋になって三年間打ち込め」

という方針だったそうです。

誰しもが最初から完璧に出来たわけではありません。

荒川コーチ曰く「気持ちを入れ替えて、これから始めればいいんだ」と。

陽明学との出会い

致知8月号の「先哲の教えに感奮し興起す」
(陽明学研究の第一人者 故岡田武彦先生のお弟子お二人の対談)を読み――

初めて王陽明という人物を意識したのは昨年です。

喜多方で、藤樹学を学ぶという静坐(勉強会)があり、
その勉強会に参加したことがきっかけでした。

中江藤樹は、日本陽明学の祖と言われ、
王陽明の教えを日本に広く伝えようとした江戸時代初期の儒学者でした。

その中江藤樹の代表的な門人に熊沢蕃山と淵岡山という人物がいました。
会津若松の町医師2人が淵岡山の元へ教えを学びに出向き、
会津、喜多方に藤樹学が持ち帰られました。

以来、220年にわたり会津藤樹学(心学)として学統継承者が続きましたが、
1884年にとうとう絶えることになりました。

しかし、その中江藤樹の教えを蘇らせようと、
喜多方の生涯学習課が数年前から勉強会を開催しています。

陽明学と言えば、「良知」「心即理」「知行合一」「事情磨練」など根本となる教えがありますが、
一番シンプルでわかりやすく、かつ、個人的な課題である「知行合一」という教えに惹かれました。

知りて行わざるは、ただ是れ未だ知らざるなり

元は、論語の為政第二「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」ということですが、
学んでも行動が伴わない自分にとって、これほど痛烈な言葉はありませんでした。

何もできていない自分を改めて意識し直し、戒めるためにも、
陽明学を深めていきたいと思います。

そして、慢心することなく、素直な気持ちを忘れず、
知行合一の精神で歩んでいきたいと思います。

王陽明 知識偏重を拒絶した人生と学問―現代活学講話選集〈7〉 (PHP文庫) 王陽明 知識偏重を拒絶した人生と学問―現代活学講話選集〈7〉 (PHP文庫)
安岡 正篤

松原泰道老師に学ぶ般若心経 2/2

道元禅師曰く「仏教をならうということは、自己をならうなり

仏教思想の根本は「自分を知る」ところにあります。
と、南無の会元会長の松原泰道老師は百歳で説く「般若心経」の中で仰っております。

松原泰道老師現代人は確かに多くの知恵を身につけています。
しかし、その知恵は自動車などのヘッドライトに似て、
前方を照らすことはできても自動車自体、つまり自分自身を明るくすることはできません。自分では自分が見えないのです。
また、車のヘッドライトは、車内を照らせないから車内は真っ暗で新聞も読めません。
現代人の泣き所は、外のことは一応知っても自分自身が読めないということです。
自分の心を明るく照らす室内灯の智慧が欲しいと思います。

老師は「知恵」と「智慧」は違うと仰っております。

知恵」はいわばヘッドライトで、自分の外界のことを観察する頭脳の機能(はたらき)です。
智慧」は室内灯で、自分の内部を観察する心の効用(はたらき)です。

現代人の知恵の光度は極めて高いのに、
智慧の光度は、知恵に比べて甚だしく低いのではないかと指摘されました。

六波羅蜜にもある「智慧」ですが、どうも深遠で捉えどころがなく、
しっくりきていませんでしたが、老師の説明で少し理解することができました。

また、主観・客観という区別は仏教にはないそうです。
その区別を超えて、観察されるそのものに成り切って観察するというのです。

芸術家の観察態度が具体例としてあげられていました。

室町期の画僧の雪舟が鶴を描いていると聞いた人が、
そっと画房をのぞいたら一羽の鶴が右足をあげて立っているだけで、
雪舟の影も見えなかった――

雪舟が余念を交えずに鶴に成り切って鶴を観察する態度が表象されています。

般若心経は、主人公の観自在菩薩(観音様)によって進められていきます。
観自在菩薩とは、先日もあげたように、釈尊の「観察する修業の人格化」です。

「摩訶般若波羅蜜多心経」という経題は中村元博士によると
大いなる智慧の真理を把握する肝心な心構え」としています。

主観・客観に捉われることなくよくよく物事、また己自身を観察し、その内にある真理を見つめ、
般若心経をきっかけに、仏の教えをこの身に養っていきたいと思いました。

その際、何もかも切り離して個人のみのあり方を考えるのではなく、
あくまで社会全体、地球全体のなかでの「あり方」を考えていきたいと思います。

PS.
先々週より、蒲生氏郷が亡き父のために建立した「恵倫寺」(曹洞宗)にて坐禅を始めましたが、
結跏趺坐をすると足が痛すぎて、心を静めるどころの騒ぎではありませんでした(笑

百歳で説く「般若心経」 百歳で説く「般若心経」
松原 泰道

松原泰道老師に学ぶ般若心経 1/2

致知出版社ではお馴染み、現代仏教の第一人者に松原泰道老師がおります。
本日、ふと本屋に立ち寄ると、「百歳で説く般若心経」という本に目がとまりました。

今まで「気持ちが良い」という理由で、
意味もわからず般若心経を読経していましたが、
老師自身による般若心経の読経CD付きということも手伝い買ってみました。

本自体は、黙読したら30分~40分程度で読めてしまう厚さでしたが、
過ぎず、及ばざらず、平易で非常にわかりやすく、
般若心経とはこんなストーリーだったのかと理解できました。

般若心経に関してはこの本しか読んでないので、非常に恐れ多い感想ですが、
まさに、入門書として必要十分という直感を感じます。

その内容とは、
釈尊の修業内容を人格化した架空の人物である観自在菩薩(観音様)が、
釈尊の高弟であり実在した舎利子に対して、一切が「空」であるという真理を説いているストーリーです。

菩薩は修行者(厳密には釈尊)をあらわします。
観(察)自在菩薩というのは、釈尊の修業内容が対象を良く観察し、
その対象に成り切る(相手と一体になる)というものであったことから、
その修業が自由自在にできるという「修業の人格化」が観自在菩薩、または観世音菩薩となりました。

すべては「無常の存在」であるという真実。
すべては「無我の存在」であるという真実。

この二つの真実を総括するのが「空の真理」に外ならないと説いています。

無常」というのは、すべては常に移り変わり、永遠の存在は一つもないのだということ。

無我」というのは、すべての存在は孤立して存在できない、
みな他と関わりあってはじめて存在が可能だということ。

この真理は身体のみならず、心に関する事象すべてに通じる真理であると続けています。

空の真理を悟るには、「観察の智慧」によって得られると言います。

知恵智慧の違いも巻頭に説明があり、分かり易く目から鱗でした。)

最後は、ギャテイ、ギャテイ…という「彼岸へ渡ろうよ…」と記され、
わずか276文字の般若心経が締められます。

解説しているページ数でいえば70ページ程度の本ですが、
ここに挙げきれなかった面白い内容が、短いながらも濃密に紹介されています。

般若心経には興味があるが、内容を良く知らないという人のための入門書には
最適ではないのかなと思いました。

個人的には、この本を読み、新ためて仏道に関する胆識を深めるきっかけ
仏教語で言うなら「」というものを感じることができました。

百歳で説く「般若心経」 百歳で説く「般若心経」
松原 泰道

ベンジャミン・フランクリンに学ぶ13の徳目

米100ドル紙幣に肖像が描かれているベンジャミン・フランクリン(Wiki)ですが、
自伝に、自らを戒め、行動指針として定めた13の徳目が紹介されています。

ベンジャミン・フランクリン1. 節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
2. 沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
3. 規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
4. 決断 なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
5. 節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
6. 勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
7. 誠実 詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出ですこともまた然るべし。
8. 正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
9. 中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
10. 清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
11. 平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
12. 純潔 性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽(ふけ)りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
13. 謙譲 イエスおよびソクラテスに見習うべし。

フランクリンは自ら習慣としたいと思うことを13の徳目として練り上げました。
一度に全部をやろうとし、かえって注意を散漫にするといけないということで、
1から順に習慣化したそうです。

この裏付けがあって、フランクリンの偉業があるのだと思うと、
習慣というものが、どれほど大切かが改めて良くわかりました。

良い習慣を一つづつ増やそうとしている最中にあって、
とても参考になりました。

1つの項目を1年かけて習慣化したとしても13年です。
とはいえ、孔子の、「吾十有五にして学に志し~」というくだりからもわかるように、
13年で聖人足りえるということは難しいと思いますが、ひとつの目安になるかもしれません。

自らも自らが守るべき徳目を練り上げ、自己の戒律としたいと思いました。

嫁は、小学生の頃にフランクリンを読み、実践していたことがあるらしいデス…。
恐ろしいですね。。。

フランクリン自伝 (岩波文庫) フランクリン自伝 (岩波文庫)
松本 慎一 西川 正身
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