よく、山(長所)と谷(短所)のギャップのある人ほど
その落差が魅力を引き出すという話を聞きます。
なるほど確かにと思って、ギャップや落差のあることを
随分と良しとしてきました。
しかし、自分は一点完全な勘違いをしていました。
修身教授録の「長所と短所」の項を読んでそれを
ハッと気付かされました。
どういうことか。
それは、長所と短所と一口に言っても、外面的な
長所・短所と内面的な長所・短所に分かれるという
ことです。
外面的なというのは知識技能ということであり、
内面的なというのは精神性格のことであります。
読んでみれば当たり前のことですが、
それにすら気付いていない、否、うすうす気付いて
いながら知らん振りをしていたあたりがやはり
おめでたい証拠です。
森先生は、知識や技能と言った外面的な事柄は
一般的に短所を補うより長所を伸ばしたほうが
良いと考え。精神性格と言った内面的な事柄は
長所を伸ばすより、欠点を矯正することのほうが
良いと考えておりました。
知識や技能といった事柄は、長所と短所が
逆を向くケースが多々あります。
例えば、理系に強い人間は文系に疎かったり、
スポーツが出来る人は、文化的な要素に欠いたりと。
逆もしかりです。なので、短所を補ったところで、
その効果は薄いけれども、長所を伸ばすとたちまちに
その能力が発揮されるということです。
逆に、精神性格というのは長所と短所が表裏一体です。
例えば、能弁な人間がいるとすると、その人間は一歩を
誤ると多弁饒舌になります。また、厳格ということは
一つの美徳ではありますが、行き過ぎると冷酷になります。
勇気も過ぎると粗暴になります。
孔子も「六言六弊」として確かそんなようなことを言っていました。
よって、精神性格というのは、長所を伸ばすのではなく
短所を補うことが先決であり、それが即ち長所を伸ばす
ことに通じてくるということでした。
最近になって、ようやくその本意の一端を実感しているところです。
精神性格上の欠点を自分の「味」や「色」と思うのは、あきらかに「甘え」です。
最後に、森先生のご忠告を自分への戒めとして。。。
精神というものは、それが真に伸びるためには、
必ずや何らかの意味において、一種の否定を通らねばなりません。
この否定という浄化作用、すなわち自己反省というものを
通らずに伸びたのは、精神としては真に伸びたのではなくて、
かえって度の過ぎたものとして、結局欠点になるわけです。
自己否定というのは、一種のろ過作業のようなものと心得、
否定というフィルターを通しての浄化なくして、精神の向上は有り得ない、
むしろ度の過ぎた事と知らなければならないことを学びました。
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