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日本人におけるカミ―ノット神ノットGOD

天皇のことを勉強していると必ず出てくる問題として、
カミという存在をどう捉えているか。という点。

覚書として日本、中国、西洋の神の考え方をメモ。

日本の神の考え方
八百万のカミ。何もかもカミである。
一神教で言うGOD(創造神、唯一神)ではない。

本居宣長曰く

凡(すべ)て迦微(かみ)とは、古の御典(みふみ)等にも見えたる天地のもろもろの神 たちを始めて、それを祀れる社に坐(ま)す御霊をも申し、又人はさらにも言はず、鳥獣 (とりけもの)木草のたぐひ海山など、そのほか何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微とは言なり。

日本は、カミというものを鳥や獣や草木や海山から始まり、
すぐれたもの(善悪関係無し)は全てそうだという広く柔軟な捉え方をしています。
勿論、天皇もカミですし、我々人の中にも「経営の神様(松下幸之助)」
「漫画の神様(手塚治虫)」などカミがいます。

また、カミは尊いものを指すので、当時貴重だった紙はカミと呼ばれ、
女房はカミさんと呼ばれ、上下で言う上をカミとも呼びました。

中国の神の考え方
中国で「神」という漢字は、これまたGODを意味しません。
神(しん)は「自然界の不思議な力を持つ物や心など」を表わす文字と定義されているようです。

中国にも中国神話というものがあり、多くの神が登場しますが、
日本の古事記のように体系化されたものが存在しません。
よって、中国はカミより聖人を崇拝するというように人間至上主義で今日まで発展してきました。

西洋の神の考え方
西洋というより、キリスト、ユダヤ、イスラム、ヒンドゥーのような一神教圏の神(GOD)の考え方。
勿論、一神教というだけあって、神はそれぞれの宗派における創造主が神と呼ばれます。
この世の何から何までは創造主によって創られたという絶対的な存在です。

こういった、神に対する考え方は土地や文化や歴史や宗教によってまったく違います。
面白いものです。

日本だけでなく、様々な地域や国の歴史や文化、宗教も学ばなければと。

数学―役に立たない知的活動(アート)

世にも美しい数学入門を読んでのどんぶり感想。
(お茶の水女子大学名誉教授 藤原正彦氏と小説家 小川洋子氏との対談)

数学は芸術
数学は芸術である。アートである。

純粋な数学者というのは「美」と「感動」のために数学をしているのであって、世間の役に立つ定理や公式を生み出そうとしているわけではない。と藤原教授。

芸術作品さながらに生み出された定理や公式が、結果、100年後、500年後、1000年後に有用性が認められ、万有引力やコンピュータなど物理学やエンジニアリングの基礎をなすということがしばしば見受けられるということでした。

藤原教授の挙げた例を眺めるだけでも、数学史には面白いエピソードが溢れています。
今度時間があるときに紐解いてみたいと思いました。

美と醜
芸術というだけあって、定理や公式には「美しい」ものと「醜い」ものが存在するといっています。
見た目や思想がシンプルで素直なものは美しく、逆に複雑なものは醜いとされるようです。
そして、美しい定理や公式ほど、後々役に立つことが多いそうです。

やはりなんでもシンプルが一番美しく応用が利くのですね。

国語と数学
国語と数学は、似て非なるもののように思えますが、
藤原教授は国語はとても重要だと言っています。

偉大な成果を残した数学者は幼い頃から「叙事詩」や「漢文」に親しみ、
暗礁暗誦していたということです。
また、環境の美しいところに育った人物に偉大な数学者が多いとも言っています。

数学は芸術だと最初に言いましたが、感性や情緒力を養うことは非常に大切なことのようです。

西洋と東洋
数学史を紐解くと面白いことがわかります。

西洋人の特徴―「正の数、無限」…目に見えるものに対して数学力が強い
東洋人の特徴―「負の数、無」…目に見えないものに対して数学力が強い

ゼロを発見したのはインド人、負の数を最初に認めたのは中国人だそうです。
数学にも文化・哲学の違いが完全に現れるようです。

以上ザックリですが、面白いなと思う点でした。

数学の話をしているのに「漢文の素読」だとか「抒情詩」という話が出てくるというのも興味深いところでした。

現代は、「実学」に偏り始め、全ての知的活動の根源となる「国語」と「数学」の教育に力が注がれなくなっているのが現状だと藤原教授は嘆いていました。

「目に見えるもの」「実利」にのみ教育が進んでしまうことは東洋に生きる我々には非常に怖いことのように感じます。

一見、今すぐには役に立たない「目に見えない」存在を大切にしていかなければならないことを数学を通じて改めて感じました。

数学は哲学・文化・思想からの閃きです。
言葉は哲学・文化・思想の結晶です。

どちらも、それを使って遊ぶことができます。

足したり、引いたり、掛けたり、割ったり。
詩にしたり、歌ったり。

数字や言葉を使って遊ぶことで低下中の脳力をイッパツ喝入れしなければと気付かせて頂きました。

日記
山岡鉄州、勝海舟、高橋泥舟の幕末の三舟ゆかりの禅道場「両忘菴」の別院が、アメリカ合衆国オレゴンにあるそうで、オレゴンの住職が来若しているということで少しお邪魔してきました。
アメリカで禅に取り組む人達の様子を伺うと、禅のブームがひと段落し、アメリカの禅人口はかなり多くなってきているということと、皆相当真剣(日本の比ではないらしい)に取り組んでいるということが分かりました。
フランスはパリ発信でヨーロッパでも禅への関心が高いとも。
西洋に和の精神が広まるのは喜ばしいことですが、肝心の日本で禅離れが激しい現状。
勿論「国民みな禅がよし」というわけではありませんが、自己を見つめ直す習慣は必要かなと。
特に自分が。という危機感が一層強まった秋雨の夕方でした(笑)
世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書) 世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書)

天からの大任―人が成長するとき

孟子天の将(まさ)に大任を是(こ)の人に降さんとするや、必ず先ずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体膚(たいふ)を餓せしめ、その身行(ふるまい)を空乏せしめ、その為さんとする所を払乱(ふつらん)せしむ。心を動かし性を忍ばせ、その能くせざる所を増益せしむる所以なり。

天が重大な任務をある人に与えようとする時には、必ずまずその人の精神を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、その肉体を飢え苦しませ、その行動を失敗させ、行おうとする意図と食い違うようにさせるものだ。これは天がその人の心を発憤させ、性格を辛抱強くさせ、できなかったことをできるようにさせるための試練である。

天から大任を預かり、人が成長するときには必ず試練が与えられると孟子は言っています。

このような試練を未だ受けることなく人生を過ごしてしまっています。
自分は大任を命じられるような器でないことを天が明白に告げています。

大任をやり遂げる以前に、己のことすらままならぬ身。

よくよく慎しみ、目の前のこと大切にして歩んでいかなければと思いました。

売れるものがないときは―経営理念を売れるか

「松下の経営理念を売ってくれ」

昭和44年、松下(現:パナソニック)が海外のフィリップスと合同で乾電池の工場を作り、
お互いのブランドで同時に販売することになりました。

当時、松下はフィリップスに比べ製品力が弱く、販売網も築けていない状態です。

そこで松下幸之助翁は現地の社員に向けてこう言われました。

松下幸之助「うちの製品はまだ海外では負けとるな。現地で売る苦労をしている皆さんには誠に申し訳ないと思う。弱い製品を売る難しさ、それも海外で売る難しさは私なりによく分かっているつもりや」

「3年の猶予を私にくれないか。3年でヨーロッパのものにも負けないいい製品をつくるから。そこで君たちにお願いがある。その3年間で、君たちはそれが売れる強い販売網をつくってくれ」

と。最初のねぎらいの言葉で気持ちは救われました。
しかし、続く言葉に社員は何か釈然としない気持ちがおこりました。

「弱い製品でどうやって販売網を築くのですか」と。

幸之助翁はちょっと考えて、、、

松下幸之助「売るものはあるよ。松下の経営理念を売ってくれたらいい」

きょとん。です。

しかし、よく考えると商売の本質である「人間関係」に立ち返るということだと社員は気付きました。

良い製品だけを作って提供するだけなら、他社がより良い製品を作れば、より良い製品に、安い製品を作っても、他社がより安い製品を作れば、より安い製品にお客様は流れてしまいます。

製品だけを見つめていたら商売は長続きしません。
商売が長続きするには、人間関係、信頼というものが欠かせません。

その人間関係、信頼を築くために、松下の価値観である理念をお客様に示し、商品に反映させる必要があります。

経営理念を売れとは、そういうことだと気が付き、経営理念の大切さを学んだと当時社員であった、佐久間昇二氏(WOWOW相談役)は語っています。

人間一人とっても、その人の価値観、志に共鳴して人間関係が構築されていきます。

人、家庭、企業、国家、大きさは違えど生きものです。
志や理念というものの大切さに改めて気が付かされました。

幸之助翁は常に「実践の人」でありました。
志や理念は語っているだけでは説得力がありません。
実践してこそのものだと心得、ぶれない人生を歩みたいと思います。

参考:致知2009年10月号

謙虚さを養うためには?―実るほど頭を垂れる稲穂かな

人は坂道を上る時、自然と頭を下げた謙虚な姿勢になります。
つまり、謙虚な態度でいる人は、上り坂にあると言えます。

その逆に坂道を下る時、人はのけぞった姿勢になります。
つまり、不謙虚な態度でいる人は、下り坂にあると言えます。

その人の今の「態度」が、
上り坂を進もうとするのか、下り坂を進もうとするのかを決定するのかもしれません。

どれほど調子(業績)が良くても、波に乗っていても、
「態度」が不謙虚な姿勢になってしまうと、それは、
下り坂に入ったことを表わすのだなと、わかりやすい教訓です。

自分は不謙虚、不誠実になりがちな人間です。
ふと気付くと、態度が大きかったのではないか。
相手への敬意が足りていなかったのではないか。
毎日そんなことばかりです。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

中身が充実すればするほど頭を垂れるのが稲穂です。

これから豊穣の秋を迎えます。
会津の田んぼも黄金色に色付いてきました。

自分も稲穂のように、心身ともに充実させ、見せ掛けではない本物の謙虚さというものを身に付けていきたいと感じさせられました。

大転換期に必要なもの―本当の教育について

明治維新を成し遂げた人物達は、
江戸時代を通して儒学(主に朱子学)を学んでいました。

戦後、焼け野原から偉大なる復興を果した先達は、
明治から戦前にかけて「教育ニ関スル勅語」を理念とし、「修身」という科目を基軸に学びました。

国外からの圧力による歴史的な大転換期に際して、国家を失わずさらなる飛躍をするには、必ずそこには教育が培った土台となるものがあるように思います。

儒学は「修己治人」の学と言われ、「修身」もまた「修己」と同義であると思います。
当時、そういった、己(身)を修める学問を土台として、その他の学問を身に付けました。

だからこそ、危機に瀕して立ち上がり、行動する底力が湧き上がったのだと思います。

現在は、「これから起こる大転換期」を乗り越えられるだけの教育が施されているでしょうか。
自分自身を省みても、幕末・明治・戦後の志士たちと比べようもないほどに未熟であり、情けなく、頼りありません。

非常に恐怖を覚えます。

自分がビックリするくらい未熟な理由を「現在の教育」のせいにしているわけではありませんが、幕末、明治の志士らの軌跡を学ぶにつれ、今の日本の教育の在り方というものが非常に危ういものだと感じるようになりました。

今月はアサヒビールの名誉顧問であります中條高徳先生の講演会に出席することになりました。
友人から「事前にこれを読んでおくと当日より深く学べるよ。」ということで「おじいちゃん戦争のことを教えて」という中條先生の著書も贈って頂きました。

そこにも、中條先生自らの体験として、戦前、戦後の教育について触れられている箇所があり、尚強く危機感を持ちました。

教育者として有名な森信三先生は、「修身教授録」という著書の中で、「修身」ということの大切さを説いています。

現在、「修己治人」をベースに講習会を主宰している立場として、いつまでも未熟で恥ずかしい自分でいるわけにはいきません。

今後も、森信三先生の仰るところの実践者として、机上の知識ではない本当の学問というものを意識し学び続けていきたいと思います。

修身教授録―現代に甦る人間学の要諦 (致知選書) 修身教授録―現代に甦る人間学の要諦 (致知選書)
おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状 おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状

八海山の酒造りの姿勢に学ぶ経営思想

八海山というと、一時期ブームになった日本酒ですが、どんな姿勢でお酒造りをしているのか、南雲社長のインタビューを月刊致知(10月号)で読みました。

一、良い酒を作りたい「熱意」と「努力」
新潟のお酒が有名になってきたのはここ四、五十年だそうです。日本酒作りは古くから歴史がありますが、新潟のお酒が日の目を見る事はありませんでした。
しかし、新潟のお酒をなんとか良くしたいとの先代の熱意と努力で今日があると語られています。

松下幸之助翁も繰り返し語っていますが、「熱意」が一番最初になければ、何事も起こらないということだと改めて感じました。

何としてでも二階に上がりたい!という強い意志が「梯子」を作らしめるのであって、優秀な人が「梯子」を作るわけではない。という例え話に通じます。

一、明確な理念
八海山を作っている八海醸造㈱は大正十一年に創業しました。
現社長の祖父の創業です。日本酒業界の中ではかなりの若手だと思いますが、なぜここまで酒=新潟という全国的な知名度を勝ち取れたのか。明確な理念が受け継がれているからだと思いました。

淡麗というカテゴリーの中で高品質な清酒を造る。それには大吟醸酒作りを目指す。

この一点のみに全力を捧げているということです。

酒造りに妥協を許さないというのは、どこの酒造も勿論その意気であると思いますが、○○のカテゴリーにおいて、というとても明確な目標があることが無名の醸造会社を一躍有名にさせた理由なのかなと思いました。

一、役割の明確化と供給責任
そして、面白いのは、お酒造りをしている本体である製造部門と営業を担当している販売部門を別々の会社にしたという点です。

人気が出ると、往々にして販売部門から「もっと利益の出せる製品にしてほしい」とか「もっと市場にウケがいいものを作ってほしい」など要請が出てきます。
それに応じてしまうと、八海山を作っているのか、何を造っているのか分からなくなってしまうと南雲社長は仰っています。

また、南雲社長は以下のようにも語られています。

いい酒を造るだけではなく、いい酒を求めている人達の手に行き渡るようにすることは、一つの企業責任ではないかと謂うのです。希少性を前面に出して、価格がつりあがっていくことは、品質の悪いものを市場に流すのと同じくらいお客様を無視した姿勢だと考えます。

勿論全ての商品に供給責任がもてるわけではありませんが、スタンダードラインのものに関しては上記のような姿勢を貫きたいと仰っておりました。

何を目指しているのか?
最初にあった目標、目的がいつの間にか見えなくなっているということのないように配慮されていることが良く分かりました。

何かに向って走るとき、必要なのはインターバルのための給水所でもなく、楽ちんな車でもなく、ゴールテープなのだと改めて気付かされました。

うまい日本酒はどこにある? うまい日本酒はどこにある?

高校生が感動した「論語」―佐久協

慶應高校で一番人気のある授業をする先生として、35年間漢文を担当された佐久協先生が、若者にどうやったら論語を楽しんでもらえるか工夫し、表題のタイトルの本を出版されました。

佐久先生は「大人になって社会に出、人と人との間で揉まれ苦しむとき、真に役に立つのが論語である。だが、誰もが高校の授業で一度は触れた論語を、歳を重ねて読み返したりはしない。こんなにもったいないことはない」と語ります。

自分も、高校で論語を学びましたが、授業外でそれを思い出したことは一度もありませんでしたし、漢文自体なんで今更こんなものを学ぶのだろうという程度の次元の低い認識でした。

しかし、今は確かに「もったいなかった」と思います。
当時から論語はじめ、古典の普遍性を理解出来ていたらと思いますが、残念かな全く興味を示せませんでした。

この本は現代の若者にも通じるように訳が練られています。
順番も学而第一から堯曰第二十まで原文の順で並んでいるのではなく、意味でカテゴライズされていてとても学びやすいです。
例えば「人生の目標」とか「家庭生活」とか「教育と学問」という具合です。

訳は↓のような感じです。

「弟子の冉有が『先生の説には大賛成ですが、それを実行するのは、私には力不足でできません』と言うから、『「出来ない」というのは途中までやって、ぶっ倒れた者が言うセリフだよ。お前のは、「出来ない」ではなく、「やらない」の言い訳じゃないか。自分で自分をダメ人間あつかいしているのと同じだぞ』と諭してやったよ」

他の誰かに伝えるためではなくとも、自分の中にしっかりと落とし込み、身体に馴染ませるためには、もっともっと噛み砕いて消化しなければなりません。

その一躍を担う本に出合え嬉しく思います。

追記
漢文がセンター試験の科目から外れる!?
授業から漢文が無くなる日も遠くないのでしょうか…

高校生が感動した「論語」 (祥伝社新書) 高校生が感動した「論語」 (祥伝社新書)

車を運転している時間の有効活用

引っ越してから車に乗って移動する時間が長くなりました。
ずっと音楽を聴いていましたが、運転中の時間を活かしきれず、最近はこの時間が勿体無いと思い始めていました。

以前、たまたま手に取った松原泰道老師の本に、説法のCDが付いていたことがきっかけで気が付きました。そうだ。講演や説法などCDで聴けるものを探せば移動中も時間を有効に活用できる。と(今更ですがw)

そこで、探してみると論語や大学などの中国古典も朗読CDがあったりして、素読の勉強にもなるなと新しい発見がありました。

これから日新館のホームページをリニューアルしますが、日新館に入学した子供が論語や大学の素読を始めた歳が10歳でした。神童と呼ばれるような子供は3~5歳で古典を習い諳んじたそうです。

現代の研究結果からも、難しい漢字は幼い頃(幼稚園くらいから)のほうが良く覚えるらしいです。

自分は、当時の10歳の子と同じスタートラインに並んでいること、もしかしたらそれ以下かもしれませんが、そのことを自覚し、心して精進していきたいと思います。

オススメの講演・説法・朗読CD

百歳で説く「般若心経」 百歳で説く「般若心経」

成功のために大切なこと 成功のために大切なこと
PHP総合研究所

日本人のこころと品格(10)~儒のこころ 日本人のこころと品格(10)~儒のこころ
矢崎滋

読本『仮名大学』 『大学』を素読する 読本『仮名大学』 『大学』を素読する

人を植える道

中国古典「管子」に以下のような一節があります。

一年の計は穀を樹(う)うるに如(し)くは莫(な)し。
十年の計は木を樹うるに如くは莫し。
百年の計は人を樹うるに如くは莫し。

一年の計画を立てるなら、その年に収穫できる穀物を植えるのがよい。
十年の計画を立てるなら、木を植えるのがよい。
一生涯の計画を立てるつもりなら、人材を育成することだ。

参考:致知2009年10月号

今まさに生涯の計画を練っているところです。
ずっと自分はどのようにして生きていきたいか考えて、それでも全く方向が見えずにいましたが、ここ一、二年で目指す方向が定まりつつあります。

100年計画とまではいきませんが、50年計画の骨組みは出来上がりました。

肉付けはまだまだ必要ですが、この計画でGOサインが出せればもう後は走り続けるだけです。

GOサインを出すための最終的な決定を何とか年内にしたいと思っています。

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